『第五章』ボンファン開店へ

「1年くらい準備期間を経て、クリスマスイブにオープンしました。ケーキさえ作れればやれるという動機はいたって安易でした。
商売を知らないから独立できたのです。経営を知っていたらやっていません。独立して初めて経営の難しさを知りました。
お菓子の技術しかしりませんので、中小企業大学校や、セミナー、勉強会で経営学を学びました。
しかし、オープンした当時はものすごい反応でしたね。そういうが他に店なかった。私がつくるお菓子は、沖縄の街の洋菓子屋さんにはまだなく相当珍しかったとおもいます。
広告などは一切しなかったのですが、1ヶ月してから土日はお客さんがひっきりなしで、自動ドアは開いたままの状態でした。
あまりにも売れるので生産が間に合わずショーケースも商品がなくガラガラしていました。私と家内とスタッフの3人で必死になってやっても注文をこなし切れません。
24時間、休む時間も無く働きっぱなしでケーキをつくりる作業中に睡魔に襲われケーキに頭を突っ込んだりしていました。その状態が2年くらい続きました。
89年に泊店をオープンし、デパートからも出店の声がかかって、91年にリウボウに出店しました。ピークが99年で売上が1億4千500万円でした。
毎朝、店舗の前は掃除をしていましたが、ある日、いつものところではなく、別のところを掃除していたら、近所の方が声をかけてきて
『あの店のお菓子は自分達には、高くて食べられないさぁ』と言われたのです。また他のお客さんから『普通のお菓子はないの』と言われたこともありました。
自己満足のケーキを作っていたのかと反省して、一般のお客さんが欲しがる菓子類も作りました」
ボンファンのオープン当時、街の洋菓子屋さんが作るケーキと言えばアメリカンスタイルが主流で、砂糖とケーキを絡め手でさわっても手につかないようなもの。
ボンファンのフルーツケーキはなんと半年寝かせ熟成させたという。今までの街のケーキ屋さんの概念を覆すような洋菓子をどんどん出してくるボンファンのケーキは衝撃でした。
話題の人気店になるのは当然です。
「リウボウへ出店した当初は忙しかったですね。客層はとてもよく、久茂地周辺の大手企業からの需要もありました。
面白いことに商品券の需要も結構ありました。本土のある企業の方は商品券しか買わない。得意先に商品券をギフトとして差し上げていたようです。
忙殺されて自分が何をやっているのかわからない状態の時もありました」
>>『第六章』おわりに