『第四章』沖縄ヒルトンホテルへ

東京ヒルトンホテルで日夜腕を磨くことに切磋琢磨していたときに、沖縄にヒルトンホテルが出来るという話が。現在、沖縄には年間観光入域客数は約600万人。
恩納村のリゾートエリアにはリゾートホテルが立ち並んでいますが、復帰当時の72年の年間観光入域客数は約44万人と現在の10分の1で、 本土大手系列のホテルもほとんどありませんでした。
「海洋博覧会の前で、観光客も今のようにまだまだいない時代です。
沖縄ヒルトンの他に大手系列のホテルはほとんどなく東急ホテルが出来たくらいです。
大手ホテルスタッフがトレーニングにきていました。
苦労したのは人です。
面接して料理人を採用したのですが、東京との常識の違いを感じました。
『得意料理は何か』と聞くと『洋食、和食、中華』と答えてくる。スゴイ人がいるなぁとおもいました。(笑)
東京と比較して沖縄は市場も狭いので、それなりの宴会しかないとので、オープンして間もない頃はよかったのですが、だんだん質が悪くなりました。
それなりの料理にしかできなかった。
もう一つ苦労したのは食材です。油脂できている輸入食材を使わないといけない。
生クリームが欲しくてあるメーカーとやり取りしながらつくってもらいました。
私の担当はパンとデザートを担当しました。
料理長はイタリア人ですが、宴会があるときはメニューのデザートを空けて一任させてくれました。
欧米人と日本人の胃袋はちがうので、料理長もわかっていたとおもいます
東京とは違う環境に戸惑いながら、試行錯誤し自分の納得のいく仕事に注力していたが、ホテルの売却の噂が金城さんの耳に入った。
沖縄ヒルトンホテルは、フランチャイズでオーナーもホテル事業は始めてだったので、ロイヤルティーや人件費で圧迫され利益がどんどん減っていった。
そうなると使う食材の質も悪くなる。
金城さんは、ホテル勤めを辞め、独立する準備を始めました。
準備をして約1年後の84年に壷屋にボンファンを開店。
ホテルのお菓子が街中の店舗で買えるということでメディアでも取り上げられ話題になった。
作っては売れる状態であったが、金城さんは経営の素人であると認識しました。
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