『第二章』辻調理専門学校時代~東京ヒルトンホテル入社

「21歳までに、沖縄そば屋とか、何でもいいから料理で身を立てようと思っていました。19歳でしたので何の技術もありませんでした。
あるレストランに面接を受け、調理人として勤めていました。当時は復帰前でしたが、沖縄は観光が徐々に増えており観光産業が盛んになればホテルも多くなる。
そうなるとホテルで料理を作る人間が必要になる。
自分も腕を磨かないといけないとおもっていました。
そう思いながら働いているとレストランにあった雑誌を読んでいると、辻調理師専門学校の広告が掲載されていたのです。
そこに行こうと思ったのです。
1年間レストランでコックをして、それから辻調理師専門学校に入学しました。
当時は、沖縄は日本ではなかったので、本土に行くにはパスポートが必要でした。
今は東京に飛行機ですと3時間弱で行けますが、当時は九州経由で船です。
琉球政府発行のパスポートをもって、鹿児島まで船で行き、鹿児島から熊本まで汽車でいきました。
そこから熊本から夜行列車に乗り換えて長時間揺られて大阪までいきました。
今でこそ辻料理師専門学校は全国的にも有名ですが、当時はほとんど知られていないマイナーな学校でした。
私は学校卒業後、東京ヒルトンホテルの入社試験を受けて入りましたが、面接の料理長から辻専門学校はどこにあるのかと聞かれるくらいでした。
辻調理師専門学校から初めて東京ヒルトンホテルへ入社試験で受かりました。
入社後は、床磨き、ガラス磨き、宴会のテーブル並べ、営繕みたいな仕事もしました。
初年給8300円でした。
私以外の同僚はどこかのホテル・旅館の2代目でした。ですので、スポーツカーをもっていて、都心にマンションを持っていました。
ホテルの駐車場が1万5千円でしたが、彼らは駐車場を借りていました。
あの頃のホテルは修行の場で2代目達は修行としてやってくるのです。
その場所に場違いの私が紛れ込んだようなものです。
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